お願い

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

今日は、ブログ更新日ではありませんが、
緊急性のある記事なので、
アップすることにしました。

変なお願いを告知しますが、
意味不明な方はスルーして下さい。

僕のパートナーソウルが、
この2週間ほど前から、
誰かへのウォークインを試みて
失敗を続けています。

この期間に、
気絶した、意識が飛んだ、
今までに経験の無い夢をみた、
など、

自分であって、
自分じゃない経験をされた方、
いらっしゃいませんか?

彼らにとって最後の仕事を、
リアルに3次元で行うための、
次元降下を試みているのですが、

ターゲットの心身波動が、
十分に高まっていないため、
入ることが出来なかったようです。

高次元の存在からすると、
3次元に降下するだけで、
泥沼に潜るくらいの勇気が要りますので、
受け止める心身が綺麗だと、
彼らはとても助かります。

特にオーブ9度で、山羊座0度に土星が、
4ハウスの起点に土星が、
オーブ12度で蟹座0度に月が、
オーブ15度で獅子座0度に太陽が、
コンジャンクションして(重なって)いる、
このいずれかの星回りをお持ちの方、
宜しくお願いします。

僕のパートナーソウル以外にも、
沢山の高次の意識体が
次元降下したがっています。
ぜひ、心身波動を高めて、
彼らを受け止めてあげて下さい。

彼らがウォークインしても、
貴方の人格が変わったりしませんし、
波乱万丈は覚悟して欲しいですが、
幸運、かつ病気とは無縁の暮らしになることは
間違いありません。

無意識をハッピーに

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

最近、コトあるたびに、
チャイでブレイクしてます(笑)

チャイでブレイク♡

ひかりあめで、「生活の木」の雑貨を扱っていた頃は、
チャイも仕入れていましたし、

個人的にも、かなり好きでしたので、
当時は、自分で購入して飲んでました。

昨年末に、雑貨の扱いを止めてから、
購入する場を失い、
そのままフェイドアウトしていたのですが、

先月、友人から、
オーガニックのチャイを頂戴し、
そのタイミングで、また火が点いちゃいました。

自分でも購入したいなと思いながら、
イオンモールのコーヒー豆ショップを覗いたところ、

オーガニックではないのですが、
チャイが数種類販売されていたので、
それ以来、定期的に購入するくらいハマってます(笑)

早朝に勉強を始める前や、
セッションの合間に頂きます。

10分くらい蒸らして、
無調整豆乳を加えて頂いています。

スパイシィな風味、
特に僕は、シナモンが好きなのですが、
リフッレシュ目的というより、

何と言っても、
リラックスできるのが有難いんです。

リフレッシュ!ですと、
交感神経を優位にする場合もありますが、

リラックスゥ~は、
副交感神経を喜ばせますよね。

ですから、大好きなチャイを飲みながら、
リラックスして、

そして、楽しい妄想をすればするほど、
自らの無意識に、
ハッピーな情報を送り込めます。

今朝、通いの猫たちに食事をあげていたとき、
今までにない幸福感に包まれ、

陽の登り始めた空を見上げたら、
温かい嬉し涙が、頬を伝いました。

無意識が、この新しい生活習慣で、
かなりハッピーになったんでしょうね。

とはいえ、カフェインを含みますので、
一日の上限は、せいぜい2杯ってとこですかね。

無意識は、知らぬ間に汚れるモノです。

そして、ネガティブな無意識が、
幸せを引き寄せるコトは、絶対にありません。

読者の貴方も、貴方好みの手段で、
無意識をハッピーにする、
素敵な生活習慣を見つけて下さいね。

不眠と身体次元

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

25日のメルマガで、最近飛来した、
ハーモニー船団の話題を取り上げました。

ハーモニー船団

…と、同時に、

ほぼ、時を同じくして、
新しい生活習慣を取り入れたせいで、

23日から不眠が続いていました。

この新しい生活習慣は、
2023年の春から始める予定でしたが、

数日前の瞑想中に大胆な前倒しを示され、
そのために不眠になるコトも指摘されたのですが、

限りある寿命を活かすためにも、
意を決して始めるコトにしました。

その新習慣の内容については、ココではお話ししませんが、

そのキッカケとなる出来事は、
2011年の誕生日(9月30日)に起こっていて、

5年6か月後となるその日に、
6年6ヵ月も前倒しして、
新習慣を始めるコトになったのです。

「不眠」と聞くと、病気のようですが、
単純に眠れないだけですので、

どうせならと思い、
リラックスして、夜の気配に感覚を研ぎ澄ますと、

緊張していたら気付かない、様々な刺激があるモノで、
たとえば、そんな情報の中には、
例によって「数字」や「音楽」もあって、

布団の中にいても、宇宙からのメッセージと、
触れ合うコトが出来るんだなぁと、
楽しめた4日間でもありました。

ところが、そのモードが、
昨日の深夜を境にパッタリとオフになって、

猫たちの朝食タイムの午前5時まで、
大爆睡するコトになったのです。

この年齢で、4日間も眠らず、
それでも日中眠くならないなんて、

ついに、心身の次元が、
大きく上昇するのか?!と、興味津々でしたが、

熟睡の後は、嘘のように爽快で、
まだまだ、3次元身体を楽しむコトになりそうです(笑)

そして、明けた早朝の北中城村は、
久しぶりに雨も上がって、

ウォーキングもでき、上機嫌な一日がスタートしました。

午前中には、恩納の道の駅までドライブもして、
大好きなコーヒー豆もゲットできました。

少なくとも、このワクワク感を、
4月1日の0時16分、下弦の月まで持続させ、

世界調和への誓いを打ち立てる、
原動力とするつもりです。

ウォーキング瞑想

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

今朝、8時から2時間ほど、
ウォーキングをして来ました。

毎朝の15分ウォーキングは、
脊椎弛緩によるセルフケアが目的ですが、

月に一二度、こうして長時間歩くときは、
瞑想を兼ねて無心に歩きます。

北中城の自宅を出発し、
世界遺産の中城(なかぐすく)城を経由し、

中城村に入って、中城湾へと下りたら、
国道329号線を北上します。

北上中に再び北中城村に入ると、そこは熱田という集落で、

県道81号との交差点を左折し、
長い坂を登り切ると、自宅のある集落に戻ります。

起伏も多く、途中休憩を挟んで、
130分のウォーキング瞑想が可能なコースです。

もちろん、大好きなクバ笠を被って…。(笑)

今日は、国道329号線を素直に北上せず、
嗜好を変えて、熱田集落の中を歩いてみました。

熱田の集落

それまでとは一変して、坂の無い歩きやすい場所で、

頭を五分に刈った少年が、
ブロック塀にサッカーボールを蹴り込んでいたり、

畑仕事をしていたらしい、ご年配のカップルが、
腰を下ろしたパイプ椅子から、手を振って下さったり、

部活に向かっているのであろう野球少年が、
乗っていた自転車から、
わざわざ降りて挨拶してくれたりと、

なかなか、微笑まし風景を見せてくれました。

そんな中、ある家の中から、
赤ちゃんの泣き声が聞こえました。

その途端、僕の目に涙があふれ、
今日の瞑想のテーマに対する応えが、返されたのです。

ひかりあめという店は、
開店当初は雑貨屋の屋号でオープンしていたにも関わらず、
※当時の屋号は「あったか雑貨・ひかりあめ」

その頃から既に、治療所的な傾向が強かったのですが、

11年目を迎えた今では、僕の成長を試すかのように、
クライアントさんの問題も、複雑になって来ています。

例え、通常の医療では、不治とされる難病でも、

原因から解決を試みる調和自然療法なら、
解決の糸口を見つけるコトができますので、

どんな症状を抱えた方がみえても、
僕は絶対に諦めませんが、

そんな中、最近「脳」の問題に、
多々出くわすようになりました。

昨日も、一日中、そのコトを考えながら、
人体解剖図を眺めて、ヒントを探していたのですが、

今朝のウォーキング瞑想の中で、
何か具体的な応えが得られるのではないかと、
期待して出かけていたのでした。

赤ちゃんの泣き声と一緒に、
どんな応えが返って来たのかについては、

ココでは長くなり過ぎますので説明しませんが、

とにかく、僕の最後の転生が、
自然療法家だという意味も、はっきり判った気がします。

ウォーキング瞑想のコツは、

このように、問題をしっかりと携えて、
関連する資料にも、穴が開く程目を通しておいて、

あとは、何も考えずに歩く!という姿勢が大切です。

一時間も歩くと、程良い疲労感とともに、
呼吸も自動的に、腹式に切り替わり、

心身がリラックスした状態になるモノです。

そこに、応えとなる天空の波動が下ろされ、
はっ!と気付くコトが出来るのです。

明日の投稿では、
その応えの、ほんの一部をご紹介しますね。

神との初対話

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

11日の早朝、驚くべきことが起こりました。

いつものように、お腹が空いたと主張する、
わが家の三姉妹猫たちのために起床し、

彼女たちのお手洗いを掃除し、
ご飯を用意し、
マッサージをしていました。

すると、三姉妹の中の、
後から加わった双子姉妹の内のポンが、

いつになく人懐っこく、
僕の傍でデングリガエリをしながら、
喉を鳴らすのです。

あんまり可愛いので、暫く彼女に付き合って、
掃除用の刷毛を使って遊んでいました。

10分くらい、遊んでいたと思います。

すると彼女が、日本語をしゃべったのです。

 うまく行ってるのだよ。

僕は思わず聞き返しましたが、
声の主は、ポンとしか思えないのです。

時刻は午前4時を、少し回ったころでした。

最近、光の革命の間では、
地球外生命体とのテレパシーコンタクトの実験をしており、
それが午前4時を指定されることが多いのですが、

もしかすると、ポンの身体を使って、
何かがメッセージをもたらそうとしているのかと思い、
メモを近くにおいて、瞑想をはじめたのです。

すると、

洪水のようなメッセージが、
頭の中に溢れ始めるではありませんか。

急いでメモを取ったのですが、
まったく間に合う速度ではありません。

A5サイズの紙に、殴り書きをすることになったのですが、
自分でも何を書いたのか判らなくなりそうでしたので、

少しでも覚えているうちの、
記憶している内容を、パソコンに入力しようと思い立ちました。

メッセージの洪水は止み、
僕自身も、落ち着きを取り戻したのですが、

せっかくの言葉の殆どを書き損ねたことに後悔し、
速記のスキルを勉強しておけば良かったと反省もしつつ、
パソコンの前に座ったのです。

すると、普段はシャットダウンして終えるはずのパソコンが、
スリープモードから迅速に立ち上がり、

さらに驚いたのは、
日本語エディタの白紙ページが、目の前に現れたのです。

あっけに取られつつも、
殴り書きの紙を見ながら、タイプをし始めると、

書き損ねた単語の選び間違いをすると、

 そうではない

…という言葉を「感じ」、

紙を見てはいるのですが、
僕の思考を無視して、指が勝手に文章をタイプするのです。

結局、A4の紙にびっしりの内容を、
全く思い出すという作業を必要とせず、
メッセージを書き綴ることに成功しました。

速記のスキルは、不要だったのです。

書き留めた内容を読むと、
地球外生命体からのメッセージではなく、

2004年からの十年間、
ひかりあめを守護して下さった存在からのものでした。

内容は、大きく分けて4つありました。

どれもこれも、この十年間、
僕が疑問に感じていたことへの答えでした。

当事者には気付けない、
でも、守護して下さった存在には判るであろう、
客観的な言葉の数々で、

読めば読むほど、心が安らぐのが判りました。

その後は、翌朝も、そして今朝も、
メッセージを感じていません。

答えは、求め続けるモノにもたらされるというのは、
どうやら本当のことのようです。

これも、自然則に沿った生活を送り続けて来たことへの
神様からのご褒美なのかもしれません。

ちなみに、このメッセージを受け取ることとは無関係に、
その日は髪を、ばっさり切るつもりでいたのですが、

予定通り、いつも利用する床屋に出かけ、
人生初の五分刈りにして頂きました。

鏡に映る自分が、慣れ親しんだ僕ではなくなり、
全く別の「ゆうすけ」が、誕生したような気分です。

起きているのに、寝ている?!

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

往々にして僕たちは、余計なコトを考えている時、
今を見ていません。

思考…、つまり考え事の多くは、
過去を悔やんだり、懐かしがったり、

あるいは、起きてもいない未来のことに対して、
不安や恐れを抱いていたりと、

過去や未来ばかりを見ています。

もちろん、その内容がネガティブなコトばかりでは
ないかもしれませんが、

そうした考えに没頭すればするほど、
そちらの世界に埋没してしまいます。

つまり、今に居ながら、
過去や未来に意識をフォーカスさせているのです。

これって、夢を見ている状態と、
何ら変わりません。

ですから本人は、しっかり起きているつもりなのに、
脳内は夢を見ている状態と同じなのです。

そんな状態で、道を歩いたり、
まして、車を運転して安全でしょうか。

さらには、

歩いたり、車の運転をしたりというコト以外にも、
今を見ていない状態で何かに出会えば、

過去や未来の自分の尺度で、
今を判断をしてしまいます。

正しい判断ができるはずが、無いのです。

睡眠状態から目覚めるコトを覚醒と言い、
自身について悟るコトも覚醒と言いますが、

本当の意味で覚醒した状態とは、
ただ、目が開いていれば良いのではなく、

意識が、今、この瞬間になければならず、

そうでなければ、
危険でさえあるのです。

ですから、日頃から、
余計な思考を止めるワークをしましょう。

数日前の投稿と、
同じ締めになってしまいましたが、

そのワークとは、
別の名を瞑想と言います。

瞑想については、
こちらの連載を参考にして下さい。

病は気から…のメカニズム

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

薬害について真剣に学び始めてから、
自律神経と病気との関係について、
多くを知るコトになりました。

それらを踏まえて今日は、
(いにしえ)からの伝承、「病は気から」について
解き明かします。

ネガティブな感情が、どのような仕組で、
病や症状に発展するかを、
なるべく平易な表現で説明します。

実際、心配ばかりしていると、
胃が痛くなる人は多いですし、

許せない思いが腰を傷めるというのも、
良く耳にする話しです。

例えば後者の場合、
本当の原因はメンタルにあるのに、
腰痛を訴えて整形外科を受診すると、

医師はレントゲン撮影をして、
その原因を椎間板の異常などと説明し、
状態が顕著であれば、手術を勧めることもありますが、

手術をしても改善しないという話しも、
幾らでもあるモノです。

腰椎は、座仕事が大半を占める現代社会では、
正常な状態である人の方が圧倒的に少ないので、

病因を骨格異常に帰着させることは、
必ずしも正しくありません。

心の問題がまず起こり、
それが何らかの形で身体部位に対して、
痛みや痺れ等の指示を送り、

それを庇う形で生活をしているうちに、
結果として骨格異常に発展すると考えると、
辻褄が合います。

つまり現代医学は、
身体メッセージの解釈を間違えており、

結果として起こっている
例えば骨格の問題等を物理的に修正したところで、
何の解決にもならないのです。

実際の流れは、こうです。

自律神経は血流などの、
身体における不随意機能を管理しています。

例えば心臓の鼓動を、
意識の下で管理することは不可能ですから、

意識せずとも正常な動きを指示するコトが必要であり、
それを司るのが自律神経なのです。

脳がネガティブな感情を抱くと、
中枢神経のサブシステムである自律神経を介して、

標的と定めた組織への血流を制限し、
軽い酸素不足を起こさせます。

標的という表現が適切かどうか疑問ですが、
ある種の感情は、ある種の個性と関連しながら、
ある組織に影響し易いと考えて下さい。

すると、血流の不足し始めたその部位の
有効酸素量が不足し始めます。

充分な栄養を受け取れなくなったその部位が
筋肉や腱であれば、それは痛みとなり、

神経であれば、痛みや痺れ、
違和感や力の入らない状態となるのです。

これが症状という形での、人体の最初の表現ですが、
多くの人がこの身体メッセージを
軽視してしまうのです。

気が付けば、酸欠が進み、
症状が深刻化し、

そのうち、問題を起こした当人にとっても、
メンタルからの訴えは二の次となり、
症状にばかり目が向くようになってしまいます。

これが現代医学における統計情報と合致すれば、
晴れて病名が付くコトになり、

合致しなければ、
原因不明のストレス性疾患として
処理されるだけのことです。

何らかの違和感を身体に感じたなら、
この仕組みを思い出して下さい。

それは、あなたの抱いたネガティブな感情が、
もしくは、古くから抱いて手放せない潜在意識側の感情が、

その部位に対して意図的な酸欠を、
企てはじめた兆候です。

ですから、病や症状を手放して
健康や幸せを手にするためには、

例え、どんな自分であっても、
自分の人生を受容し、
自身を愛するワークが必要なのです。

そのワークとは、
別の名を瞑想と言います。

瞑想については、
こちらの連載を参考にして下さい。

瞑想を身につける…その6

瞑想中に浮かんだ思いを手放せなくなるケースの
解決手段をお話しする前に、

思考が止まらない人のタイプを知る必要があります。

色々なパターンはありますが、
大別するなら、それは真面目な人頑固な人でしょう。

彼らは熟考する日常を選んでいるので、
それはそれは、良く考えるのです。

しかし実は、
こういうタイプだから思考が止まらないのではなく、
考えている内容に問題があります。

昔から、

自分の人生に責任を持つ

…という言葉がありますが、
あなたは、これをどんな風に捉えていますか?

思考を止めるための重要なヒントが、
このワンフレーズに隠されています。

考え事のテーマとなっている内容が、
自分に責任があるかどうかが問題なのです。

例えば、仕事がうまくいかないことを、
上司や同僚のせいにする人がいます。

彼らが○○だから、自分の人生はうまくいかないんだ…

このような類の文句を、言う人々です。
人間関係のストレスというジャンルですね。

自分の人生に責任を持っている人は、
失敗を自分の成長不足と受け止め、

その失敗を成功への糧にとして、
最終的に解決への道を切り拓くことができます。

何もかも、自分のせいだからです。
自分のせいという意味は、自責とは違います。

万事を、自分の成長課題と捉えた生き方が、
できるかということです。

そのため、どんなに大きな問題でも、
自分次第で解決することができるのです。

ところが、問題を他人のせいにしてしまった途端に、
それは自分のせいではないという、強烈な自己暗示となり、
もう自分では解決できなくなってしまいます。

だって、他人の問題なのですから…。

ですから、考えても、考えても、解決しません。
自分のせいであれば、解決の糸口は見つかりますが、

他人のせいですから、もうどうしようもなくなり、
結局、瞑想どころではなくなるのです。

今回のブログツアーは、
瞑想を手に入れるための企画でしたが、

自分の人生に責任を持つ生き方へのシフトも、
充実した日々を送るための、
重要な課題となるということが解って頂けたでしょうか。

ですから、これまで問題を他人のせいにして来た方は、
これを機会に自分のせいにしてみて下さい。

そんなコト、できっこないと思いますか?

そう言うのは簡単ですが、
ここにもまた強烈な、「できっこない」という自己暗示が、
含まれていることに気付いて下さい。

そして、騙されたと思って、次のコトを実行してみて下さい。
案外、簡単にシフトできます。

思考に捉われている人は、その問題と同じ目線になり、
まるで、犬の喧嘩に加わっている状態になります。

犬の喧嘩は、人間には止められませんから、
人間の目線まで、自分を引き上げるコトがコツです。

つまり、問題に直面したら、一歩引き下がって、
その状態を客観的に捉えて欲しいのです。

そして、もし自分が十分に成長した人間だったら、
この場をどう処理するか考えるのです。

今はできないかもしれないけれど、
自分が成長さえすれば必ず凌げる問題しか、
神様は僕たちに授けません。

この思考の方向転換によって、
あなたの思考に隙間が生まれ、
そこに、意識の光が輝くことでしょう。

思考を制御できれば、
いつでも瞑想を通じて、「無」の境地に辿り着くことが可能となり、
魂からのメッセージを、聞き逃すことはなくなります。

この6日間の連載を振り返って、
丁寧に実践してみて下さい

そう遠くない日に、きっと、
瞑想はあなたのモノになるはずです。

瞑想を身につける…その5

それでは、
思考を止めるための具体的な方法を学んで参りましょう。

さっそくですが、
こんな経験はありませんか?

今まで、見たことも聞いたこともない、突飛なものに出会うと、
脳を持つ動物は、多かれ少なかれ同じ反応をするものです。

呆気に取られる…という状態です。

この瞬間、思考は止まっています。

暫くすると、関連する記憶から似ているモノを探し始めますが、
少なくとも数秒間は、考えることができなくなるのです。

この生態反応を利用することで、
僕たちは簡単に瞑想の世界へ入って行くことができます。

僕のお勧めする瞑想のやり方は、
この呆気に取られた動物の反応をうまく利用したものであり、
巷の瞑想会の流儀とは、大きく異なるかもしれませんが、

この際、瞑想を成功させるという目的を重んじて、
常識的な発想は、拭い去ってみて下さい。

まず、瞑想に向き合おうとした場合、
姿勢や呼吸についての前置きが、案外多いものです。

遠隔治療において、
自分という三位一体コミュニティを確立させたり、

宇宙の至高の力を受け取ったりする場合には、
バランスの良い姿勢が必須となりますが、

瞑想に限定した場合、
それはどうでも構いません。

楽な格好をして下さい。
楽な呼吸をして下さい。

普段、慣れていない格好や呼吸をすれば、
それだけ、「無」になれる可能性が低くなります。

慣れていないので、慣れようとするために、
適応のための思考が働くからです。

ちなみに、
サトルエナジーアセスメントにおけるセンタリング状態には、
歩きながらでも到達することができます。

瞑想状態は、センタリングと比較しても、その導入でしかありませんので、
どれだけ入り易いか、解って頂けるでしょう。

そして僕の瞑想では、特に前半は目を閉じません。
後半は、その方が楽なら目を閉じますが、
前半では、視覚を積極的に利用して思考を止めます。

ハガキサイズの小さな紙を用意し、
そこに、利き手では無い方の手を使って、
サインペンで、無意味な図形を描いて下さい。

あなたが選んだ姿勢の状態で、
楽な視線の先に、その紙を良く見えるように固定します。

一旦目を閉じ、
深呼吸をしたら、

ゆっくりと目を開けて、その図形を見ます。
無意味な図形全体を、ボンヤリと見て下さい。

凝視してはいけません。
何となく見るのです。

僕の場合は、ホワイトセージの葉を一枚用意し、
素焼きの皿の上で、木製ピンチに葉柄を挟んで火を点け、

立ち上る煙の織り成すランダムな図形を、ボンヤリ見つめます。

呆気に取られた状態を、自分から作り出すのです。

普段の生活では、呆気に取られた動物は、
意識を取り戻すために、思考を再開させようと躍起になりますが、

この思考再開のための行動は顕在的反応なので、
その気になれば止めることができます。

その反対となる潜在的反応の場合、意識下に無い行動を伴うため、
自分の意志で止めることはできませんが、

顕在的反応であれば、自己抑止が可能です。

つまり、呆気に取られた状態に、
浸り続けることができるということです。

ボンヤリ見つめることで、思考が止まったら、
瞑想の前半は完了です。

そのままの状態を楽しむために、
ここから先は目を閉じても構いません。

楽な呼吸をしながら、
思考の止まった状態を味わって下さい。

このとき、何かしら思いが浮かぶこともあるでしょう。
その場合は、その考えを追いかけないようにします。
追いかけなければ、思いは消えます。

この状態で数分間経過すると、
眠気が襲ってきます。

身体がリラックスし、脳が止まろうとしているからです。

はじめのうちは、このまま寝てしまっても構いません。

入眠できる状態に到達したということは、
「無」を体感したことでもあるからです。

思考の止まった状態を、楽な姿勢、楽な呼吸で維持していると、
やがて胸骨の辺りに暖かさを感じるでしょう。

心臓の脳と言われる場所が、反応しているのです。
この状態が、「無」への到達を告げるサインです。

ここまでの全体を通じて、せいぜい5分~10分というところでしょう。

ここで瞑想を終えても構いませんし、
時間が許すのであれば、その状態を楽しんで下さい。

魂からのメッセージが届くかもしれないからです。

魂からの伝言は、「言葉」とは限りません。
五感に分散して、提供されると思って下さい。

五感を通じて、第六感に伝わり、第三の目で感じるのです。

最近、僕は瞑想の中で、
英語でメッセージを受け取りました。

Twenty Ninetyfour

…と、はっきり2回聞こえました。

この時は、視覚情報や匂いのようなモノも僅かに感じましたが、
主たる情報は、この英語のワンフレーズでした。

「20」、「94」という数字に何の意味があるか、
今の時点では不明です。

2094年に、何かあるのかもしれませんが、
その頃の僕は134歳です。

このようにして、瞑想を楽しむ習慣をつけると、
生活に余裕が生まれ、リラックスできるようになり、
ストレスを感じ難くなります。

ご存知の通り、ストレスは緊張が作り出す幻ですが、
緊張すればする程、新たなストレスを感じ易くなってしまいます。

悪循環というヤツです。

ですから、日々リラックスを体感することが、
魂とのコミュニケーションにおいても、
使命をまっとうするという点においても、

その前に健康を維持するという点においても、
必要だと言うことが、良く解るはずです。

ところで、

瞑想中に浮かんだ思いを、手放せなくなることもあるでしょう。
この解決方法を、明日お伝えします。

明後日からリフレッシュ休業となり、
このブログも3連休ですので、

明日の連載で、瞑想ツアーが最終回となるようにいたします。

→明日に続く

瞑想を身につける…その4

昨日までの3日間で、
瞑想に対する考え方が、
これまでより、現実的になったのではないでしょうか。

現実的という言葉の響きは、
このシチュエーションに適していないかもしれませんが、

聖人たちにしか到達できない「無」の境地を、
僕たちの手元に引き寄せることができたという点では、
間違いなく現実的だと思うのです。

昨日は特に、その「無」について具体的に考えました。

要約するなら、
「無」になることは、

自分が主導権を握って、
自身を内観する等の行動を起こすのではなく、

ただ単に、魂の声を傾聴できる自分になることです。

ひかりあめで毎月行っている「心と身体の健康教室」では、
なぜ、僕たちは魂とコミュニケーションできないのかということを、
図に描いて説明しています。

それは、物理的身体と魂との間にある、
感情や心というエネルギー体が、
平安な状態を保てないことが原因です。

ネガティブな感情を、セカンドナインティーンによって鎮め、
心の癖を、セブンヘルパーズによって穏やかにすることで、

フラワーレメディ治療の完成期に辿り着いた人々は、
魂とのやりとりが、生活の随所で可能になることがあります。

同じように、瞑想によって、
これらの感情や心というエネルギー体に平安をもたらせば、

魂からのメッセージを受け取る準備が可能となります。
そして、これこそが「無」の状態です。

フラワーレメディのような、
感情や心という類の微細身体に直接作用する療法を利用せずとも、

魂とのコミュニケーションを遮断するこれらに
一時的かもしれませんが、平安を届けることはできます。

感情や心を掻き乱す、その理由を知れば良いのです。

感情が鎮まらないのは、思考が止まらないからであり、
心が穏やかになれないのは、感謝が足りないからなのです。

つまり、瞑想への第一歩は、
思考を止めることに、他なりません。

ですから今日は、思考が止まったときに起こる、
ある出来事に着目したいと思います。

実は、多くの人がこの状態を既に体験しています。

それが、まさか「無」への切り札だと、
思わなかっただけのコトだったのです。

愛する人や、可愛いペットを、
抱き締めたときのことを思い出して下さい。

毎回では無いかもしれませんが、
まるで、時間が止まったような感覚を覚えたはずです。

そうです。

その時あなたは、「無」の境地に一瞬にして辿りつき、
時空という幻を支配したのです。

つまりこの状態は、
愛のエネルギーの中で「無」の境地に達した瞬間であり、
瞑想の目指すものと、ほぼ同じです。

「僕たちはひとつである」の第4話中で説明しましたが、
時間や空間は、人間が勝手に取り決めたモノであり、
絶対的な普遍のモノではありません。

そう思い込んでいるだけであり、
今日の例のように、時間は止まったり、
逆に矢のように過ぎて行くことも起こります。

つまり、僕たちの思いのままなのです。

少なくとも、完全に「無」を感じているときには、
時間や空間は意味を失います。

現時点では、
完全に「無」を感じることはできないかもしれませんが、

あなたは、既に思考の止まった時間を経験しているという事実を、
しっかり噛み締めて下さい。

そして、あなたも聖人も、何も変わらないということを、
自分に対して証明して欲しいのです。

瞑想を身につけるということは、
言い換えるなら、その状態を自分から作り出し、
そこに浸れば良い、ただそれだけのことなのです。

僕は、この連載の第1話で、
~瞑想は眠ることだと考えて欲しい~と言いました。

実は睡眠に入る前のあなたも、時空を支配しています。

「気が付いたら朝だった」という熟睡の状態は、
確かに脳が眠っていたから、時間の記憶が無いのでしょう。

しかし、入眠する寸前の朦朧とした状態は、
単に意識が混濁しているだけなのでしょうか。

思考が止まり、あなたのエネルギーがリラックスしたことで、
脳が眠ってもいいのだと判断したとき、

取り決めの時空から解放されたあなたは、
あなただけの特別な時空で、高次の自己と出会っているのです。

今日の例にせよ、この入眠前の状態にせよ、
思考が止まれば、僕たちは時空を支配することができます。

どんなに心配性の人であろうと、
入眠時には、思考が止まっているのです。

脳が心配に疲れて、
もう考えられなくなっただけかもしれませんが、

どちらにしても、思考を止めることが、
瞑想を身につけるための、最も大きな課題となりそうだということが、
解って頂けたでしょう。

明日は、具体的な思考の止め方について説明します。

とても簡単な方法で、
そのやっかいな思考は、ウソのように止まってしまいます。

→明日に続く